プンタ・ピオダ北壁、Luce e Tenebre 「光と闇」700 m, M8, A3, 70º

文=シルヴァン・シュプバッハ
訳=羽鎌田学

3月6日から9日までの4日間で、ロジェ・シャリ、フィリッポ・サラ、そして私の3人のスイス人アルピニストが、プンタ・ピオダ峰の北壁中央部を登った。この非常に急峻でコンパクトな壁は、極めて困難な様相を呈し、今まで誰も登ったことがなかった。アルプスの「忘れられた」北壁を踏査するという私の個人的な長期プロジェクトにおいてひとつのマイルストーンとなっていた壁だ。

プンタ・ピオダ(標高3237m)の北壁は、スイス東部のグラウビュンデン州に位置し、イタリアとの国境にも程近いシオラ山群の中央に堂々と聳え立つ。壁の右側を登る一本のルートを除いて、誰もこの壁に触れたことがないというのは信じがたいことだった。

ここ数年、私はこの壁に魅了され続け何度か登ろうと試みたが、これまでの試みでは常に何らかのハプニングに見舞われ計画がつまずいていた。今シーズンの冬も同様だった。昨年12月にイネス・パパートと一緒に壁の最初の部分を偵察がてら登ることができたが、その後12月末に足を骨折してしまい、計画を中断せざるを得なくなった。

しかしこの3月5日、ついに私は2人の仲間と共にシオラの山小屋に辿り着いた。背中のザックは重かったが、モチベーションは高かった。山小屋では、暖炉の煙突に詰まった雪を掻き出したり、薪を集めたり、また水を作るために雪を溶かしたりと、やるべきことがたくさんあった。

翌6日朝、私たちは登り出す。昨年12月の偵察時に壁の最初のスラブを数ピッチ登っていたが、そこは今は簡単な雪のスロープになっていて、すぐに最初のオーバーハングした急峻な壁にぶち当たった。初日は4ピッチ稼ぐのがやっとだった。岩は脆く、その表面は砂まみれだったので、多くのパートをエイドで登らなくてはならなかった。私は少なくともフォローで登る時には何とかフリーで登ろうと試み、多少なりともそれを達成することはできた。

その日は、拓いたばかりの最初のピッチにロープをフィックスし、山小屋に戻る。登攀のスピードは信じられないほど遅かったが、雪の詰まった大きなガリーに到達するという当初の目標を達成できたので、私たちは有頂天だった。

7日朝、私たちは登攀を再開する。今度は壁の中に留まるつもりだった。荷造りに時間がかかり大慌てで出発したので、小屋の後片付けは中途半端にしかできなかった。山小屋の宿泊帳を見ると、この冬は誰もここに来ておらず、これからもここを訪れる人はいないだろうと私たちは高を括る。

壁の中で3日間過ごすために必要なすべての装備を上げるのに大変苦労し、正午頃になってやっとフィックスロープの端に到着。フィリッポとロジェはそのまま登り続け、私はその地点で今夜のビバーグ地の整備に取り掛かる。午後、ビバーグの準備をする私の目に、はるか下のシオラ小屋に到着する2人の登山者の姿が目に入る。その時になって、もっとしっかり掃除しておけばよかったと後悔したが、時すでに遅し。それでも、雪を掻き出した煙突、補充した薪、ストーブの上の作り置きの水は、散らかったままの部屋の埋め合わせになるはずだと考えて、私は自分自身の心を鎮めようと努めた。しかし私の考えは甘かった。

フィリッポとロジェがビバーク地に戻って来た時、既に私たちはSNS上で非難の対象になっていた。もちろん、私たちは自分たちの行いが不適切であったことがわかっていて、後悔の念に苛まれていた。誰も他人の汚したものをきれいにしたいと思わないのは、当然だ。しかしながら、私たちがよく知る人からのこうした非難が私たちに直接届くのではなく、私たちの過ちが公の場で非難されていることに驚いてしまった。その知人に電話で連絡を取り、直接謝罪したかったが、電話が繋がらなかったので、ワッツアップで謝罪のメッセージを送るしかなかった。

気分がすっきりしないまま、寒い夜が過ぎて行く。もちろん今、私たちはこの壁の困難さに立ち向かうためにここにいるのだが、そんな私たちが同時に悪者になってしまうとは、それでは話が別物だ。夜が明けて、私たちは自分自身に言い聞かせた。「今からが、肝心なんだ!」。実際、私たちの重い気分は、全力を尽くしてこのルートを完登したいという強い願望のおかげで、少しは軽くなるようだった。幸いにも、3日目の最初のピッチは本当に厄介な狭いチムニーで、そこを登ることは気を紛らわすのに最適だったが…。


3日目、ギアのセットに苦労した左上クラックの最後を登るロジェ・シャリ
撮影:シルヴァン・シュプバッハ

さらに高度を稼いで行くと、非常に傾斜の強い壁に斜めに走るクラックが姿を現す。そこを通過すれば、最後のビバーグ地が私たちを待っているはずだった。固い決意と共に、特大の緩んだフレークにカムをセットしながら、岩の表面から剥がれ落ちて目に入る砂やほこりに我慢しながら、M8ぐらいはありそうなパートをフリーで登って行く。しかし、程なく私は先ほどの固い決意を捨て去り、登攀速度は落ちるものの、より安全なエイドに切り替える。その後はロジェがリードに専念する。そして、一日の最後の陽光と共に私たちはビバーグ地に到着。かわいそうなフィリッポは、彼にとっては今日はレスト日のはずだったが、実際には一日中、オーバーハングした壁でのトラバース、ユマーリング、荷上げに従事しなくてはならなかった。そして彼も私たち2人と同じくらい疲れ果てて、ビバーグ地に登って来た。


3日目、一連の左上クラックの最終ピッチをリードするロジェに手を振るフィリッポ・サラとシルヴァン・シュプバッハ 撮影:ロジェ・シャリ

4日目は寒い夜から解放される日だった。かなり疲れていた私は、フィリッポが率先して行動してくれて助かった。先ずは彼がラペルし、次にガリーを登って通常ルートへと先行する。彼はミックスのパートを素早く抜けて、頂上まで私たちを導く。やっと太陽の光を浴びることができて、ようやく少し暖かくなった。

アルプスの荒々しい未知の山中でのこの壮大で困難に満ちた冒険行は、私たちの記憶に長く残るものとなった。それは私たちにとっては初めて一緒にロープを結んだ登攀だったが、チームとして本当にうまくやれたと思う。私たちは新たに開拓したルート(700m, M8, A3, 70º)をLuce e Tenebre(イタリア語:ルーチェ・エ・テーネブレ)「光と闇」と名付けることにした。

今後、私たちは、山に入る者の全てが(私たち自身も含めて)山小屋の冬季宿泊のルールを遵守することはもちろん、問題が生じた場合はSNSではなく直接の対話を通じてそれが解決されることを願っている。

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