セバスティアン・ベルト、エル・キャピタンのDawn Wall 第4登(後編)
Loop Picthを2ピッチで
まだ辺りは明るかった。体力も残っていたので、彼はすぐに16ピッチ目、通称Loop Pitchを登り出す。このピッチは、象徴的なDyno Pitchを迂回するピッチだ。グレードは5.14aで、「おそらくDawn Wallで最もユニークなピッチ」と言われるこのピッチは、20mほどクライムダウンして小さなレッジまで降り、そこを左に簡単なトラバースをして、その後滑りやすくテクニカル、且つ持久力を要するレイバックでピッチ終了点まで上に登るというものだ。トミーとアダムはこのLoop Pitchを選択したが、ケビンだけはDyno Pitchを進んだ。セブもLoop Pitchを選んだが、ムーブを完璧には把握しておらず、指から血が出るまで何度もトライしたが、その日のうちに登り切ることを諦めなければならなかった。
翌日彼は丸一日レストし、12日目に16ピッチ目のRPに全力を傾ける。その日天気予報は、1週間の嵐の前に3日間だけ好天が続くことを告げていた。チャンスは今しかない、とセブは考える。なぜなら、ルート上部はすぐにずぶ濡れになるからだ。彼は朝早くから登り出したが、体力はあったものの、クライムダウンのところで何度もロープに身を預ける。太陽が壁に当たり始める直前の最後のトライで、奇跡的に「靴を脱ぐこともできる完璧なレストポイント」と評される小さなレッジまで降りることができた。しかし、彼はそこに長く留まらなかった。なぜなら、その頃には燃えるような太陽が照りつけており、暑くなりすぎる前にピッチを登り切る必要があったからだ。彼はスムーズに登り続け、核心も無事越える。しかし、信じられないようなことが起きた。最後のパートで足が滑ってしまったのだ。
この時点で、セブはジレンマに直面していた。
「難しい決断をしなくてはなりませんでした。雨が降り始める前にDawn Wallを登り終えたいのなら、登り続けなければなりません。そこで、自分の倫理観を少し曲げることにしました。クライムダウンからもう一度始めるのではなく、レッジで一旦ピッチを切り、そこから新たなピッチとして再び登り始めることにしました。つまり、Loop Pitchを実質的に2ピッチに分けることにしたのです(おそらく、5.14aの1ピッチではなく、5.13dの2ピッチ)」
彼は10分間のレスト後、Loop Pitchの残りのピッチをRP。そして次のようにコメントした。
「このスタイルの妥協にはあまり満足していませんが、それなりの意味はあります。Loop Pitchの最下部となっているレッジは、そこまで10ピッチほど連続するハードなピッチを登ってきてお目にかかる最高のレストポイントになっているからです」
planetmountain.comは、2016年にこのルートを再登したアダム・オンドラに連絡を取り、この件についての意見を求めた。アダムは次のように彼の見解を述べた。
「トミーのルールに従うなら、ワンピッチで登ったほうがいいのかもしれません。トミーの登り方では、クライムダウンは8cか8b+、登り返しは8a+だと思います。でも、セブがやったように、そのポイントでピッチを切るのもまったく理にかなっているとは思います。レッジはかなり幅が狭く、座るには十分ではないと思いますが、実際に登っている時に私も靴を脱いで10分ぐらい休んだことを覚えています。もっと長くいられたらいいのにと考えたぐらいです。また、私の観点からすると、16ピッチ目の終了点にあるビレイ用のたった一本のボルトで終わりにせず、17ピッチ目の終了点までずっと登り続けるほうがもっと理にかなっています。そうすれば、全く合理的な長大な60mの9aピッチがひとつできるのです。実際にこのリンクを実現しようとしましたが、最終パートで失敗してしまいました。個人的には、セブがそのピッチを2つに切ることに何の問題もないとは考えます」
17ピッチ目
このピッチを登り終えた後、セブは最後の5.14aとなる17ピッチ目にトライする前に数時間レスト。その後、全力を尽くしたにもかかわらず、その日のうちに17ピッチ目をRPすることを諦めざるを得なかった。その時、彼は心配していた。
「天気予報は悪くなるばかりでした。残りの高グレードの5ピッチと簡単な11ピッチを登るのに、2日と1晩しか残っていませんでした。追い詰められ、かなりプレッシャーを感じていました。でも、すでに代替プランも考え始めていました。ただ、もし嵐が来る前に完登できなかったら、嵐の間、上部の壁が登れる状態を保っていてくれることを祈りながら、ポータレッジに留まるしかありませんでした。でも、それは大きな賭けでした」
13日目が明け、ソリーヌが十分な休息を得られるようにとエリック・スローンがビレイを引き継ぐ。インスピレーションに満ちたその日の午後、セブは17ピッチ目(5.14a)、18ピッチ目(5.13c/d)、19ピッチ目(5.13b)を登り切る。そして夜、彼は2度目のトライで20ピッチ目(5.13c/d)をRP。今や状況は彼に有利に傾き始めていた。
「希望に満ちてポータレッジに戻りました。まだ終わってはいませんでしたが、完登の可能性は残されていました。あとは、高グレードの1ピッチ(21ピッチ目:5.13d)と、より簡単な11ピッチ(5.11+から5.13aまで)が残っているだけでした」
完登
1月30日が明け、登り始めて14日目。セブは、この日がすべてを決定する日になることがわかっていた。21ピッチ目から32ピッチ目まで、トップへの挑戦だ。荷をまとめ、午後になって太陽が壁から去るのを辛抱強く待ち、21ピッチ目でウォーミングアップをした後、ストレスと決意が入り混じったような陶然とした気持ちで、その21ピッチ目をRP。
「最後のフィンガーロックに向かって飛びつくように登り、喜びの叫び声を挙げながらレッジにマントルしました。これでDawn Wallの難しいピッチはすべてクリアしたのです。信じられないほど幸せで、誇らしい気持ちに満ちていました」
それ以後は、雨が降り始める前にトップに抜け出るというタイムレースとなった。残りの11ピッチを、暗闇と霧の中、かなりの困難を伴い、極度に疲労困憊した状態で登り続ける。セブは、その時の模様を次のように説明する。
「気分が悪くなり始めていました。吐き気がして物を口に入れるのにも苦労し、体はひどく疲れていました。それでも、ピッチごとに、身を切るような戦いを繰り広げて登っていきました」
セブはかつてなかったほど粘り強く登り続け、31ピッチ目(5.13a)と32ピッチ目(5.12b)をクリアした後、翌午前8時、ついに壁のトップに躍り出た。勝利の瞬間だった。彼は次のようにコメントしている。
「私たちは、強烈で忘れられない夜を過ごしました。それは、奇妙な感覚でした。極度の疲労のせいで、すべてが終わったこと、Dawn Wallがすでに私たちの足元になっていることを完全には理解できていませんでした。本当にそれを理解して実感するには、何時間も、あるいはそれ以上の時間が必要だったのです」
花崗岩の巨大な一枚岩の麓に戻った後、31歳になる彼は次のように述べた。
「最後の1週間、さまざまな理由で、この冒険は何度も終わりに近づきました。特に最後の数時間は非常に苦痛で、初めて自分の肉体的、精神的限界と向き合ったと心から信じています。本当に危うかったと思います。結果がどちらに転んでもおかしくありませんでした。最後の数日間はベストを尽くして登り、懸命に戦いました。今回の旅、Dawn Wallでの14日間のクライミングは終わりました。それは、私の夢であり、信じられないほどの成果であり、私のクライミング人生における大きな節目であり、とても誇りに思っています。もちろん、“単なる”クライミングという行為であり、スポーツとしての成果でしかありません。しかし、今回のクライミングは私にとって最高に大切なものであり、おそらくクライマーとしての人生の中で最も意味あるものです」
常々、環境問題、社会問題等への関心を表明するセブは、二酸化炭素排出量を抑えるためにアメリカ大陸まで飛行機を使わずに帆船で移動したように、今回のDawn Wallでのクライミングを「警察の暴力、制度的な人種差別、女性や性的マイノリティの権利に対する攻撃として現れるファシズムに反対する運動に捧げる」としている。