グリーンランド・ドルネレン北西壁に1200mの新ルート

planetmountain.com 訳=羽鎌田学

イタリア、スイス、フランスから集まった4人のクライマーが、これまで未登だったドルネレン岩峰の北西壁に新ルート(1200m、35ピッチ、7b)を開拓初登し、Odissea Borealis「北の冒険行」と名付けた。

イタリア人クライマー、マッテオ・デラ・ボルデッラは、フランス人のシモン・ヴェルフランジェ、スイス人のシルヴァン・シュプバッハとアレックス・ガメターとチームを組み、ドルネレン北西壁に新たなビッグウォールルートを開拓することを主目的としたグリーンランドへのカヤックとクライミングの冒険行を成功裏に終え、最近帰国した。

カヤックで海へ

彼らの冒険は、グリーンランド南東部にある海辺の町、タシーラクからカヤックでの300kmにおよぶ移動から始まった。予想通り北極海沿岸沿いの航行は困難を極めた。この季節の特徴である大量の氷が最初のハードルで、出発を10日ほど延期したものの、チームはすぐに凍った海に直面し、それに対処しなくてはならなかった。

「2日目に私たちはあるフィヨルドで、海面に浮かぶ氷に取り囲まれていました。身動きが取れなくなる危険があったのですが、脱出方法がまったくわかりませんでした。それでも3日目には、なんとか流氷の間を抜け出るルートを見つけ出し、どうにか航行を続けることができました」と、マッテオは説明する。

2つ目の問題は、悪天候に関連したものだった。「人生で2、3回、パタゴニアでしかあのような状況に遭遇したことがありません」と、マッテオは説明を続ける。

「風速は時速100㎞あまりに達していて、何日かは本当に目的地に到着できないのではないかとハラハラしました。しかし、かつてバイキングの集落があったところの近くに避難する場所を見つけることができました」。

ここで4人のクライマーは、風が弱まるのを60時間ほど待ってから、航行を再開した。

「もう問題ないだろうと思って再び出発したのですが、そうではありませんでした。2度目の嵐に出くわし、今度は高さが3mの波に襲われました。今回の遠征で最も困難な瞬間でした。中止するか続行するか、すぐに判断する必要があったのです。遠征に出発する前には、入念に準備・練習し、あのような状況に対応できることはわかっていました。もちろん、壁をフリーソロで登っているようなものだということもわかっていました。カヤックから投げ出されたら、2度と海から出られなくなっていたでしょう」。

しかし嵐が過ぎ去り、海が静まるまでどうにか耐え忍び、なんとか旅を続けた。そして、4人は10日間のパドリングの末、壁の取付きにたどり着いたのである。

岩壁

壁の取付きに到達してベースキャンプを設営すると、まずチームは可能なラインを見出すことに専念し、その後最初のトライの準備を始めた。

「またもや物事は容易ではありませんでした。最初のトライは雨に降られて敗退。2回目も同じでした。3回目にトライしようと決めた時には、雪が降り始め、瞬く間に壁が白く覆われてしまい、スタートすらできませんでした」。

4回目のトライは当初うまく行きそうな雰囲気だったが、登っている途中にまたもや厄介な事態になってしまった。

「突然、グリーンランド特有のまったく予測できない風、地元の言葉でピテラクと呼ばれる風に見舞われたのです。それは壁を吹き降ろす、落石を誘発するほどの強風で、その落石のせいで、前回のトライで固定しておいたフィックスロープの1本が切れてしまいました。まさにその時、シモンがそのロープを使ってユマーリングを始めようとしていたのです」。幸いにもフランス人クライマーは無傷だった。

「落石でロープが切れた瞬間、シモンはまだビレイポイントのギアからセルフビレイを外してなかったのです」。

あわや遭難という出来事の後、彼らはベースキャンプに戻った。

「一時は完全に諦めなければならないと思いましたが、5回目のトライでようやく幸運に恵まれました」。

登攀に2日、下降に1日、計3日を費やし、クライマーたちはドルネレンの北西壁に新しいルートを開拓した。これまで誰も登ったことのない1200メートルのルートだ。

「美しく見事な壁。これほど素晴らしいやつには滅多にお目にかかれないでしょう。ペッカーを使った7bのピッチは心理的にとても難しいですが、それ以外はどれも楽しいピッチです」。

彼らは計35のピッチを開拓し、壁でのビバーク中にオーロラも見ることができた。

「それはグリーンランドからの贈り物でした」

帰還

ベースキャンプに戻ると、彼らは荷物をまとめ、帰路の準備を始めた。今一度、カヤックでの300㎞の航海が待っていたのだ。

「途中で食料が尽きてしまったので、実際に航行したのは半分の150㎞だけでした。その時点で、自力での航行を諦め、迎えに来てもらうことにしたのです。それは計32日間の遠征の終わりでした」

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