クリス・シャーマ、スペイン、シウラナで5.15c初登


@jan_novak_photography

Delaney Miller  climbing.com
訳=羽鎌田学

3月28日、クリス・シャーマはスペインの自宅から車で1時間半ほどのシウラナのエリア、アル・パティ(現地カタルーニャ語。スペイン語ではエル・パティ)へ向かった。彼の目の前に広がる森は、古代から佇む丘陵を覆い、そこに眠れる村々の輪郭を描くように生い茂っている。プラーダス山脈の断崖絶壁の上に聳え立つ城跡は、水晶のように澄んだ川と刻々と流れる時間そのものを見下ろしている。それはシュールな光景でありながらも、同時に彼にとってあまりにも馴染み深いものでもあった。クリスがそこを行き来するようになって、もう15年という歳月が過ぎているのだ。

彼は、プロジェクトとなっている新しいライン、Sleeping Lionに意識を集中させる。すると、彼の内部に沸き上がった興奮と懸念がひと塊になって喉の奥にこびりつく。本格的な春の到来。それはコンディションの悪化を意味する。それに彼も、もう41歳。決して若くはないのだ。5.15aや5.15bを世界に広めた男は、この8年間、自らが「ハード」と謳うルートを登っていなかった。

「不安だったのです」と、クリスは言い、続ける。「また登れずじまいになってしまう可能性もあったのです。それが、正直なところ、怖かったのです」

Sleeping Lionへのトライ開始は、2021年10月。このルートは、歴史的なルートであるLa Rambla(5.15a)からわずか数メートルのところにある、薄いポケットが散りばめられた石灰岩の圧倒的に聳える手つかずのキャンバスに引かれた一本であった。ボルダーグレードのV8、V11、V11、V12、V11に相当するハードなムーブが連続し、それぞれのムーブ間のレストも悪く、またテクニカルなヒールフック、強傾斜のパートでのパンチの効いたダイノ、細かなエッジを使った微妙なフェイスクライミングなどと、スタイル的にもさまざまな要素が含まれたルートであった。

しかし、ボルトを打った直後、彼はハリウッド俳優のジェイソン・モモアと共演する、アメリカの衛星&ケーブルテレビ局HBOの番組「The Climb」の撮影のために、飛行機で母国へ飛ばなければならなかった。そして撮影は事実上冬の間中続いた。2022年2月、やっと彼は目標のラインに戻ることができたが、その後気温が上昇して思うようにトライができずに、ルートを完登するには至らなかった。そして夏が過ぎ去り、秋本番の11月。彼は、今一度自らを奮い立たせ、胸の奥深くから燃え上がる新たな情熱とともにプロジェクトの前に立つ。そして、この3月までに、クリスは、上部の核心となっている54番目のムーブで既に16回もフォールしていた。しかし、彼は決して諦めなかった。

オレンジとブルーの石灰岩の岩壁がドン・キホーテのように風景から浮かび上がる。クリントン・フィーロンのレゲエ曲『Sleepin’ Lion』を聴きながら、彼は最後となるトライに向かいつつあった。

2015年3月7日にスペイン、カタルーニャにある岩場ラ・コバ・ダ・ルセールでEl Bon Combat(5.15b)を初登した時以来、8年振りだ。そして2013年3月23日にオリアナでLa Dura Dura(5.15c)を初登してからは、やはりほぼちょうど10年経っている。それ以来、彼はスペインとアメリカにクライミングジムをオープンし、妻との間には子供も生まれ、例のHBOの番組では進行役を務め、且つ、心の中の炎を絶やさないように本当に必死だった。言うは易く、行うは難し。

「その間ずっと、体調を維持するように心がけていたのですが、それがそれで一つの大きな課題でした。クライミングでの目標を決して手放したくはなかったのです。しかし、時間が経つにつれて、不安になってくるのです。すべての物事をバランスよくうまくこなしていけるのだろうか?と考えるようになるのです。まだまだやれるぞ、新しいクライミングプロジェクトにトライすることだってできるのだと、単に自分自身にそう言い聞かせているだけなのでは?と考えてしまうのです」

クリスは、何年もの間、様々なプロジェクトを設定してきた。そのうちのひとつ、2008年にボルトを打ったマルガレフのPerfecto Mundo(5.15c)は、完登目前まで迫ったものの、ビジネスと家庭の事情が相次いで生じ、彼自身も体調を崩し続け、放棄。同様のサイクルがその後何度も繰り返され、やがて彼は、いくつかの問題を片付けるまでは、新たなラインにボルトを打ったり、次のプロジェクトを定めたりしないと自分自身に誓った。しかし、古くからの習慣はなかなか消せないものだ。アル・パティの岩肌を何年も見つめていると、どうしても我慢ができなくなってしまったのだ。

アル・パティへの慣れ親しんだ短いアプローチを歩きながら、クリスは自らの心の中を省みる。力の限りを尽くすということの意味を噛み締め、深く息を吸い込み、不安に耐える。そして小事を忘れ大局に目を向ける。

「クライマー人生の中で、他のことをしてみることも実にいいことです」と、彼はコメントを続ける。

「クライミングでは得ることのできないものを補ってくれます。異なる視点を持つこともできて、クライミングを別の角度から評価できるようになります。最終的な目標は、岩の上だけでなく、人としての人生の中で5.15を登れるようになることです。子供たちに対しては親としての、また妻に対しては夫としての存在感を示しながら、クライミングジムを経営し、テレビ番組の制作に関わる一方で、自分の限界まで登るという、より高く掲げた目標を持っているのです。多くのことは、自分のコンフォートゾーンの外にあるものですが、多くの場合、私たち自身の成長や進歩は、そこから生まれてくるのです」


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インタビュー

1年以上にわたる努力の末、遂にクリスは彼にとっての2本目の5.15cルートとなるSleeping Lionの終了点にクリップした。そんな彼に早速コンタクトを取り、完登までのプロセス、トレーニングについて、また家族、ビジネス、プロジェクト・ルートへの取り組みの3つをどのように並立させているのかなど、詳しく聞いてみた。

――見たところ、あなたが持つ強靭なパワーのひとつは、そのマインドのようです。あなたはとても冷静に、クライミングについて、そしてそれが自分の人生にどのようにフィットするかについて、絶えず肯定的な見方をされています。クライミングでの目標を掲げながら、家庭を持ち、かつ起業家になったということは、自分自身とそのプロセスを信頼する能力の証しだと思います。どのようにそれを実践されているのですか?

クリス 面白いことに、自分自身と対話するのです。その際に、一応前向きにその時やっていることを楽しもうとするのですが、時には敢えて「まあ、いいんじゃない、楽しんでいるんだから」と、自分自身に言い聞かせなければならない場合もあります。でも、本当はその時イライラしているのですが。「もう少し早い時期にこれをやっておけば、今他のことに手を付けることもできたのに」といった感じです。確かに私はいつもプロセスを楽しんでいましたが、でも同時に、自分が完全に満足しているわけではないということを素直に認めなければならない時もありました。でも、それはそれで物事を片付けていく助けになったとは思います。時には自分を強いて納得させなければならないような場合もありますが、自分の本当の気持ちを認めることによって、その時の障害を乗り越えることもできるのです。自分自身と正直に対話するのです。「これを登れなかったら、ちょっとがっかりするだろうな。失敗するんじゃないかと、少し不安だな」と、自分自身に正直に話すのです。そうすることで、自分に優しくなることもできます。

5.15cが世界最難ではなく、5.15dルートが存在するという事実、今回は世界最難と見なされるルートにトライしていたわけではないということがよかったかもしれません。私は、世界的な舞台で競争したり、若いクライマーたちと競い合ったりしていたのではなかったのです。それよりも、自分が再びそのレベルに到達できるということを、自分自身に証明するということが個人的な目標だったのです。明らかに自己満足の問題なのですが、それは個人的な挑戦だったのです。アダム・オンドラと一緒にLa Dura Duraにトライし、世界最難ルートの初登攀を競った時と比べると、大きな期待感がありました。今回は、自分だけしかいませんでした。自分だけの世界で、自分だけの作品を創造し、ただひたすら、自分がまだできるかどうかを確かめたかったのです。

クライミングが私たちの生活の中でどのように進化していくのか、またクライミングと私たちの関係が年を経てどのように進化していくのかを考えることは、今となっては非常に厄介ですが、クライミングが私の表現手段であり、自分自身の最高の有様を描き出す方法であることに、ただただ感謝しています。それが私が貢献できる方法であり、私が長年に渡り絶えず実践してきたことなのです。1993年にクライミングを始めて、30年になります。多くのことを成し遂げてきたとは思います。

何度も何度も挫折や失敗に直面すると、疑念を抱くようになり、なぜ自分がそのようなことをしているのか、自己診断の非常に深いプロセスが始まります。そして最終的には、自分自身やその失敗としっかり向き合うことで、その時々の障壁を乗り越えることができるのです。全身全霊で打ち込んでいる時に、引き下がることはとても難しいことです。いろいろな意味で弱気になってしまいます。私は、レッドポイントまでの過程で抱くあらゆる感情を経験しました。だから言えるのです、人生のこの時期にもう一度それを体験できることは、とても有意義で、効果的で、素晴らしいことなのだ、と。

完登することではなく、プロセスが肝要なのです。終了点にクリップすること自体は、そのプロセスの一部に過ぎません。ただ、それをしないと、何か物足りないのも確かです。学校に行って卒業証書をもらうのと同じで、本当はそこで学んだこと、経験したことのほうがもっと大切なのですが、卒業証書を手にすることも大事なのです。一応意味があるのです。それは、自分が払った努力の程度や、何かをやり遂げたということを象徴しているからなのでしょう。

また、妻や友人たち、そして子供たちまでもが私をサポートしてくれて、大いに助かっています。彼らは、クライミングが私にとってどれほど重要なことなのかをわかっているのです。

――ここで、2020年に本誌(クライミング誌)に書いていただいたことを取り上げたいのですが、確か、あなたは、全国大会で優勝したばかりの10代の頃、前十字靭帯を損傷され、その後、スピリチュアルな考え方に傾倒して瞑想を始めたと書かれていました。それが自己形成の過程における貴重なステップとなったのか、またクライミングに対する考え方や人生の歩み方に影響を与えたのかどうか、気になっているのですが。

クリス ええ、もちろんです。そのおかげで、私はいろいろな意味で鍛えられました。Sleeping Lionでの経験を振り返ると、私にとっていい実践の機会になりました。それは修行みたいなものでした。「今日行くべきか、行かないべきか」みたいなことは、あまり考えませんでした。基本的には、とにかく「時間がある時には、行く」という感じでした。以前は前もって予定を立てずに突発的に行動していたのですが、今はもう少し計画的に行動しなければなりません。ですから、事前に妻には「月、火、水曜日には行くからね」と言っておくのです。そして、気分が悪くても行くし、雨が降っていても行くのです。ヨガとかをする時と同じようなものですね。ヨガをして、いい日もあれば悪い日もあります。でも、とにかく行って、練習するのです。どんなことがあっても、気分の浮き沈みはありますが、ただひたすら練習に身を委ねることにしています。そうすることで、とても瞑想的になれるのです。

あの時の若い時の怪我が、私を違う道に進ませることになったのです。17歳ぐらいの時は、世界は私の掌の上にあるようなものでした。私はパンクで、生意気で、できないことはないと思っていました。でも、ある日突然、登れなくなったのです。そこで、物事をもう一度しっかり見据えて、地に足をつけることができるようになったのです。それ以来、何年もの間、自分の登ったルートのグレーディングもしませんでした。それよりも、岩を登りながら個人的な旅をすることが目的だったのです。激しい運動を通じて、自分自身と向き合うということが重要だったのです。だから、クライミングをスポーツとしてとらえ、表彰台やステータスに繋がるようなことをしようとするのではなく、それとは異なるアプローチをとっていたのです。私は、そのような考え方から距離を置いたのです。

その後、自分のクライミングレベルがどの程度のものかを知りたいと思う瞬間がありました。La Dura Duraにトライしていた時が、その一例です。本物のアスリートのようにトレーニングすれば、最高のレベルに到達できるのでは?とも考えたのです。それに対し、Sleeping Lionの完登までのプロセスで興味深いのは、アスリートとしてそれを登るための特別なトレーニングをしなかったということです。99%は、ルートを実際に登るだけでした。実際、La Dura Duraの時は、自分がそのゲームを完結できるレベルにいるかどうかを確かめたく、結果としてそれを自分自身に証明することができたのは、それはそれでよかったです。しかし、La Dura Duraを登った後は、人生の新しい段階に踏み出すことが重要だったのです。

――目立ちたいと思う気持ちや、ハードなルートを登ってコンペで勝ちたいという貪欲さにとらわれないようにするのは、とても難しいことだとは思います。自分自身を見失わないためには、どのようなことをされているのか説明していただけますか?

クリス 世事に埋もれてしまい、実際に何も具体的な成果を挙げることができない時には、クライミングをしている時の感覚に集中してみることが好きです。たとえば、「どんな気分だった?」とか、あるいは、「あの日、どんな気持ちでクライミングしていたんだっけ?」とか、岩に張り付いていた時の良い感覚を再現しようとするのです。私は7年間、まったくこれと言ったものを登っていませんでした。確かにディープウォーターソロでは、幾つか有意義な成果を挙げましたが、最先端のクライミングという観点では、何も成し遂げていませんでした。だからこそ、登りに行った時には毎回、岩を登る時の爽快感や気分の高揚感を感じたり、ちょっとした進歩を見つけたりしようとする必要もあったのです。自分の体を最高のレベルにまで鍛え上げると、自分の体がスポーツカーになったようなもので、急旋回したり、何でもかんでも求めるものができるように感じます。その感覚には驚くべきものがあります。ですから、外見的な達成感よりも、その感覚というものに集中するようにしているのです。

私はいつも、クライミングとは進歩することだと考えています。それは上達するということです。では、上達しなくなったらどうなるのでしょう?クライミングが好きでなくなってしまうのでしょうか?近年私が模索することのひとつは、単により高難度のグレードを追い求めるのではなく、いかに進歩するかということです。そのためには、さまざまな方法があるでしょう。またクライミングにもさまざまなスタイルがあります。またクライミングや運動との自身の関係を深めるという、より微妙なレベルのテーマにもなってきます。ただ、よりハードなことをやっているかどうかに関係なく、自分自身とクライミングとの繋がりを緊密にすることは重要です。クライミングをより深く理解し、進歩し続ける方法はまだまだあるのです。

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